友利新「主人のひと言がキッカケで、子供を欲しいと思うように」 〜Dr.友利のなんくるないさ Vol.1〜

2014年7月に第1子となる男児を出産し、ママとなった友利新さんですが、実は30歳を過ぎるまでは、妊娠・出産についてまともに向き合ったことがなかったそうです。36歳で出産を迎えるまでには、紆余曲折があったという友利さんに、妊娠・出産・子育てのこと、家族のことなどについて語っていただきました。

30歳すぎてやっと1人前という、医者の世界

私は医者を目指して沖縄県の宮古島から東京へ出てきました。18歳で大学の医学部に入り、6年間勉強をして、順調なら24歳でやっと医者になります。さらに、2年間は研修医として働くのですが、その研修が終わったからといって、すぐに医者として1人前になるわけではありません。

だいたい、30歳くらいまでは大学病院に所属していろいろと研修をすることになるので、それまで医者としては半人前。やっと1人で患者さんを診ることができるようになるのかなっていう感じになってくるのが30歳あたりです。

そういう事情もあったので、私自身、20代で妊娠とか出産、結婚などといったことは、一切、考えたことがありませんでした。そして、20代というのは、あっという間に時が過ぎていってしまったという感じです。

もちろん、医者なので、今、よく言われているように、年齢が高くなるほど着床が難しくなったり、妊娠もし辛くなるということは知っていました。若ければ若いほど、妊娠しやすいということも知識としてはありましたが、現実問題、自分のライフスタイルと、妊娠出産というのが大きくかけ離れたものであったので、「まあ、いつかは妊娠・出産はするかもしれないな」といった程度にしか考えていませんでした。

30歳すぎてやっと1人前という、医者の世界

15歳で子宮内膜症と診断されて

実は私、15歳のときに、子宮内膜症であると診断されたんです。子宮内膜症はステージ4まであるのですが、当時はステージ3であると告げられました。しかも、「このまま放っておくと、将来、子どもができなくなるかもしれないので、今すぐ治療をはじめたほうがいい」とのこと。

正直、まだ15歳だった私にとって、自分が妊娠だとか出産なんていうことを考える術などありません。どちらかと言えば、まだまだ子どもに近い存在なのに、そんなことを言われても、なんて言うんでしょうか……、現実味がなかったんですよね。

でも、近い将来「子どもができなくなるかもしれない」という主治医のひと言だけが切り取られて、自分の心のなかに深く残りました。ショックというよりは、「ああ、そうなんだ……」という。

正直、当時は本当に生理痛もヒドくて苦しかったですね。こんな苦しみが続くくらいなら、「もう、子どもなんかいらない!」などと思ってしまったり。

今はもう、かなりいい薬がありますが、20年ほど前のことなので、強い副作用があって治療するのも大変です。こんなに辛い治療なら、やらなくてもいいと、副作用が出たら薬を飲むのをやめてしまったこともありました。

医者となった今の私からすると、当時は本当に困った患者だったなあと、思います……。そういう持病もあったり、医者として早く1人前になりたいという想いもあったので、妊娠・出産ということに関しては「もしかしたらあるかもしれないけれど、ないかもしれない」という感じでしかなく、真剣に考えてくることなく時が過ぎていきました。

今の主人のひと言で変わった

それから、ようやく1人前の医者となってきたかなという30歳の時に、私は同じ医者同士で最初の結婚をしました。それでも、出産といったことを意識したこともなかったですし、子どもを作ろうといった話にもなりませんでした。まだ、お互いに1人前になったばかりで忙しいといいますか、医者としてまだまだこれからであって、お互いに頑張っていこうという感じでした。

お互いにバリバリと仕事をしている時期ですし、そのなかで子どもについて考える余裕はまったくなかったんだと思います。結局、いろいろあって、離婚してしまって、その後はもう、「自分は結婚には向いていないんだろうな」と思うようになりました。今思えば、結婚に向いていないと思ってしまえば、子どものことなんて考えるはずもないですよね(笑)。

離婚後は、そんな感じで過ごしていたのですが、今から4年前、今の主人と出会うことになります。いろんな意味で私の仕事のことを理解してくれているのですが、それだけに、私がどう考えているのか、見透かしていたのだと思います。

主人は、何よりも家族というものを大事に考える人でもあったのですが、ある日、ふとこんなことを聞かれたんです。

「キミは子どもを欲しいと思ったことはないの?」と。

それまで私は、子どもを欲しいのかどうなのかといったことを真剣に考えようと思ったことは一度もありませんでした。さらに、その時に、父がガンであることがわかり、闘病を始めることになったというのも大きなキッカケになったのだと思います。

友利新コラム 家族が欲しいと初めて思った

家族が欲しいと初めて思った

私は3人姉妹の末っ子で、父はずっと私を可愛がり、誰よりも心配してくれていました。父の容態を聞いたとき、医者ですから、父があとどれくらいの余命なのかというのはすぐにわかります。その時に、改めてと言いますか、初めて「家族ってなんだろう?」とか、「今の私が父にできることはなんだろう?」と考えるようになりました。

それから、家族全員で父の闘病を支えることになっていったのですが、その時に私が思ったのは、「やっぱり家族っていいなあ」ということ。姉2人がいて、母がいて、みんなで家族を支え合うというのは、本当に素晴らしいことだなあって思ったときに、ふと、「自分も家族が欲しい」と思うようになったんです。

実は、そんなふうに考えが変わったときに、今の主人に子どもを欲しいと思ったことはないのかと聞かれた、というタイミングの良さもあったのだと思います。その日以来、初めて子どもを宿し、産み、育てるといったことを自分なりに考えるようになりました。

写真提供:友利新

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この記事のキュレーター

医師・友利新(ともり あらた)。1978年沖縄県宮古島市生まれ。東京女子医科大学卒業後、同大学病院の内科勤務を経て皮膚科へ転科。現在、都内2か所のクリニックに勤務する傍ら、医師という立場から美容と健康を医療の観点から追求し、ベビー用スキンケア用品の開発プロデュースも手掛けている。2004年第36回準ミス日本の経歴も持つ。2014年、妊婦の疑問に関して、自身の経験も交えてエッセイ風に回答した『Dr.友利の美人科へようこそ マタニティ外来編 妊娠・出産Q&A64』(講談社)を上梓。オフィシャルブログ「ビューティー診療室」

http://ameblo.jp/arata1107/


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