友利新「親がしてくれたことを、自分の子どもにもしてあげたい」〜Dr.友利のなんくるないさ Vol.2〜

2014年7月に第1子となる男児を出産し、ママとなった友利新さんですが、実は30歳を過ぎるまでは、妊娠・出産についてまともに向き合ったことがなかったそうです。36歳で出産を迎えるまでには、紆余曲折があったという友利さんに、妊娠・出産・子育てのこと、家族のことなどについて語っていただきました。

頑張ってみて授からなければ、2人だけの人生でもいい

父がガンとの闘いを始めた頃というのは、今の主人とはまだ結婚していませんでした。結婚を前提にお付き合いをしていましたが、「もしかしたら子どもを授かることができないかもしれない」と主治医に言われたひと言がよぎり、15歳で子宮内膜症になり、告白していました。

その頃は、ちゃんと定期的に病院に通うようになっていましたが、「もしかしたら子どもを授かることができないかもしれない。それでもいいですか?」と正直に伝えました。

すると、夫は、こう言ったんです。

「それはそれで仕方ないことだよ。でも、キミが“いらない”と考えているなら、意味が変わってくる。2人で頑張ってみて、それで授からなかったらそれでいいし、2人だけの人生でもいいんじゃないかな」

そんな話を2人でしている頃に、父がガンとの闘いを終えて、亡くなりました。

世の中では、いわゆるできちゃった結婚には批判的なところもありますが、再婚はまだしていない状態でありながら、私としてはすでに子どもが欲しいという気持ちに傾いていました。子どもを授かることができる期間っていうのは、やはり限られているじゃないですか。1年が12か月しかないので、チャンスは12回しかありません。当時、35歳だったので、待ったなしです。

入籍して1か月後に……

しかし、父が亡くなって喪が明けたちょうど1年後のことです。主人から正式に結婚を申し込まれて、11月に入籍しました。すると、その翌月に妊娠がわかって、「うそでしょ!?」と喜ぶと共に、本当に嬉しかったのを覚えています。

それまでは、妊活というほどのことではないのですが、子宮内膜症の治療のためにずっとピルを飲んでいたのをやめていました。それから、ちゃんと生理が来るようになるには2〜3か月かかりました。そこから排卵日を、それこそ、ルナルナのアプリでチェックするといったことをしていました。そんなにすぐに妊娠できるとは思っていませんでしたので、すごく嬉しかったですね。

もちろん、妊娠がわかるまでは、不安のほうが大きかったですし、いざ、子どもの話になると、「自分には欠陥があるかもしれない」と思ってしまい、なかなか言い出せないでいた自分がいます。しかし、今、振り返ってみれば、主人が思いきってダイレクトに聞いてくれたからこそ、素直に自分の気持ちを伝えることができたのだと思います。そう考えると、本当にすべてがいいタイミングで起こったのだと思っています。

最後に父が遺してくれたもの

主人との出会いも大きかったのですが、やはり、父の死は、私の考えを大きく変えてくれました。父はすごく古い人間と言いますか、“人の血”というのは脈々と受け継がれていくものだという話をいつもしていました。

だからこそ、「キミが1人になったらどうするの?」と言ったことをいつも話していました。なかなか子どものことを考えない私にしびれを切らして、変な話、「結婚しなくてもいから子どもだけは産みなさい」みたいな(笑)。

そこまで言うのは親としてどうなのかという気持ちもありましたが、裏返せば、最後まで私のことを心配してのことだったのだろうと思います。

結局、父に子どもを見せてあげることはできませんでしたが、これまで妊娠・出産のことにまともに向き合うことができないでいた私に、ちゃんと向き合う大きなキッカケを与えてくれました。これが、最後に父が私に遺してくれたものなのかなあ、といったことをすごく感じています。

なぜ、父がそこまで言い続けていたのか。それは、沖縄の人、特に宮古島の人の気質だと思うんです。すごく家族を大事にする文化が根付いているからです。

「大きなモノを遺してくれた父と娘のツーショット」

「大きなモノを遺してくれた父と娘のツーショット」

親がしてくれたことをわが子にも

ちょっと話がズレてしまうかもしれませんが、私たちの言う神様というのは、ご先祖さまのことになるんですよ。土着信仰的な神社などはあちこちにありますし、各家庭にも仏壇があって神様がいるんです。

その神様は私たちの先祖のことである。その神様を私たちはずっと受け継いできているのだから、そのバトンを後世に渡して受け継いでいかなければ、神様=ご先祖様に怒られるし、申し訳が立たないといったことを、小さい頃からずっと言われて育ったんですよね。

そんな考えは古いと言う人もいるのは当たり前ですし、私自身もそれまでは「関係ない」と思っていました。しかし、考えてみれば、私は父と母からいろんなものをもらっていて、宮古島というあんな小さい島から出てきて、大都会の東京にある大学に行かせてもらえたわけです。

今思えば、親にしてみれば本当に大変なことであっただろうし、すごくたくさんの愛情を注いでもらったんだなあ、と感謝しています。だからこそ、今度は自分が子を授かって、親がしてくれたのと同じことを自分の子どもにもしてあげたいと思うようになりましたね。

夫と父への感謝の気持ち

そんな風に思えるようになるのに35年もかかってしまったことは、本当に父には申し訳ないって思うんですけどね(笑)、もうちょっと早く気づけば良かったという気持ちもありますが、あの時、気づくことができて良かったと思います。

もし、今の主人に出会うこともなく、父の闘病によって家族の絆を改めて考えることなく過ごしていたら、たぶん、私は子どもを産むという選択を考えることもなく、その問題に一度も向き合うことなくタイムリミットを迎えてしまっていたかもしれません。そして、「子どもを産むということに1回くらいはチャレンジしておけば良かった」と後悔していたかもしれないので、そういう意味では、主人と父には、ものすごく感謝しています。

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この記事のキュレーター

医師・友利新(ともり あらた)。1978年沖縄県宮古島市生まれ。東京女子医科大学卒業後、同大学病院の内科勤務を経て皮膚科へ転科。現在、都内2か所のクリニックに勤務する傍ら、医師という立場から美容と健康を医療の観点から追求し、ベビー用スキンケア用品の開発プロデュースも手掛けている。2004年第36回準ミス日本の経歴も持つ。2014年、妊婦の疑問に関して、自身の経験も交えてエッセイ風に回答した『Dr.友利の美人科へようこそ マタニティ外来編 妊娠・出産Q&A64』(講談社)を上梓。オフィシャルブログ「ビューティー診療室」

http://ameblo.jp/arata1107/


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