不安からの健康診断。乳がん宣告後に待っていたもの。

とことん調べて、自分で決断。
「後悔しない」という決意と、多くの友人との出会いに支えられ、乳がんに向き合う女性の診断から治療までの体験談をご紹介します。

※この記事は2014年にルナルナサービス内で掲載し、ご好評だった記事を再掲載しています。

田中さんは34歳、昨年自分で乳房のしこりに気付いたことがきっかけで乳がんと診断されました。それからの田中さんは、後悔しないようにと、とことん自分で調べ、自らの決断で治療法を選択してきました。

そんな彼女の支えとなったのは、同じようにがんを経験している“がん友”。正しい知識と、多くの友人たちの支えがあったからこそ、つらい治療も乗り越えて来られた、と彼女は語ってくれました。

これが乳がん?!しこりに気付き診断へ

私が自分の異変に気付いたのは今から1年ほど前。入浴後にボディオイルを塗っている時に、乳房の内側にかたまりがあることに気付きました。触るとグミのような固さです。

「胸」「しこり」とインターネットで検索すると、「乳がん」と「乳腺症」の情報がヒットしました。がんという単語を見た時は、ドキっとしましたが、「きっと良性の乳腺症だろう。どうせすぐ消えるだろう」と思い、数か月放置していました。

ところが、私のしこりはだんだん大きくなっていき、胸の形も少し変わったように感じました。

不安が増してきたところに、ちょうど会社から健康診断の申込書が届いたので、迷わずオプションの「乳がん検診」にチェックを付けて申し込みました。

乳がんの検診はそれまで受けたことがありませんでした。エコー検査を受け、その場で「できるだけ早く乳腺外科のある専門機関を受診するように」と言われ、クリニックの乳腺外科を受診しました。医師からは「悪性の可能性が高い。すぐ大きな病院で精密検査を受けるように」と言われました。

そして検診から約1か月後、乳がんと診断されました。

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がんで父を亡くした時の悔しさ……もう後悔はしたくない

「乳がん」と言われて、最初に思い浮かんだのは父のことでした。
父は、私が17歳の時に大腸がんで亡くなっています。末期がんと診断され、手術するも再発。大好きな父が苦しんでいるのに代わってあげることもできず、私がもっと勉強して最高の治療を探すことができていたら結果は違っていたのではないかとも思ったりして、とても悔しい気持ちでした。

私と家族にとって「がん=死」でした。治療のつらさを近くで見ていたので、自分もその道をたどるかもしれないと思うと愕然としました。同時に母には、娘もがんになったなんて、絶対言えないと思いました。

私は独身で一人暮らし、子どももいません。何の見通しも立たない状況で、友人に打ち明けるのも憚られました。「頼れるのは自分だけ」そう思った私は、すぐさま頭を切り替え、とにかく自分は最新・最高の治療を受けて、後悔しない選択をしようと奮起し、告知されたその足で本屋に向かい、乳がんに関する本を片っ端から購入していました。

治療に向けて、決めなければならないことが山積み!

私はこれまで営業や経営コンサルタントとして、主に経営者を支援する仕事をしてきました。そのような仕事を通じて培ってきた、決断に至るための情報収集力や分析力を、この時のために勉強してきたといわんばかりにフル活用し、情報収集を始めました。

まずわかったのは、乳がんは適切な治療を受ければ治る可能性も高いこと。また、年間5万人以上の人が罹患する、思ったより経験者が多い病気であること。そして、父が罹患した15年以上前とは比較にならないほどがんの治療方法が進化しているということ。一方で、膨大な量の情報と治療の選択肢が増え、正しい情報の見極めが難しくなっていることもわかりました。

乳がんの治療を受けるに当たっては、決めなければならないことが本当に本当にたくさんありました。

手術ひとつとっても、乳房を残したいのか、取る場合は再建をしたいのか、病院はどこにするのか……これをがんの種類や進行具合と、生活スタイルや価値観とを考え合わせながら、自分で決めなければなりません。休んでいる間の仕事はどうするのか、治療費や生活費はどうするのか、誰にどう伝えるかなど、治療以外にも決めるべきことが目白押しです。

特に私には経済面での不安がありました。「収入がなくなったら治療どころか生活ができなくなるかもしれないのに、お金をかけて治療する意味があるだろうか……」と悩みました。大きな不安であったにも関わらず、お金のことについてはなかなか情報を集めることができませんでした。

「誰か相談できる人はいないだろうか……」と考えた時、ふと、若くして精巣がんを経験した友人のことを思い出しました。友人は新聞記者で、がんを公表し手記を書いていました。早速メールを送ったら、即座に、乳がんの先輩を紹介してくれました。

この出会いが、今後の私の治療生活の大きな支えになりました。

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逃げ出したい気持ちを支えてくれた”がん友”との出会い

初めて“がん患者”になった私にとって、すでに治療を経験してきた“がんの先輩”の話は、とても大きな支えになりました。何より助かったのは、治療の経過や感情の起伏がどうなるのかまで教えてもらえたこと。先が見えるようになり不安が軽くなりました。

手術の方法を決める際、私は体に傷をつけるのも、胸を失うのも、本当に嫌で仕方がなくて、納得できる術式を探すのに2か月半かかりました。なんとか決断することができたきっかけは、先輩たちが手術後の胸を見せてくださったことでした。

そして手術当日、私は「手術までは人生のひとつの通過点、これを過ぎればすぐに新しい自分になれる」という意識でいました。ところが、術後の病理診断の結果、私のがんは、当初より悪性で、成長スピードの大変速いタイプであることがわかり、「抗がん剤治療が必要だ」と言われたのです。

手術だけで終わると思っていた私にとって、それはまさしく青天の霹靂でした。

手術も嫌でしたが、抗がん剤治療はもっと嫌でした。髪が抜けることや入院することなどより、卵巣へのダメージで子どもが産めなくなるリスクが高まることが、私にとっては何よりショックでした。

怖くなった私は、「まだ結婚もしていないのに……」と、病理診断の結果とにらめっこしながら、抗がん剤から逃れる方法をインターネットで調べて、医師に質問し、玉砕して帰ってくる日々を繰り返していました。

そんな中、私の友人ががんで亡くなりました。44歳でした。
彼は美容師で、美容業界を変えようと尽力した人望の厚い方でした。

「ここで止まらなくてはいけないことが悔しくてなりません。みなさんの夢を一緒に叶え、みなさんと一緒に笑いたかったです」志半ばで亡くなった彼の最後のメッセージを聞きながら、「生きていればやれることがたくさんある。治療できるうちはやらなければ」と思い直し、抗がん剤治療を受けようと決心しました。

そう決心したものの、抗がん剤治療の初日は駅のホームで涙が止まらず、病院に向かう足が止まってしまいました。「この薬で私の元気な細胞も死ぬのか」と思うと、怖くて仕方ありませんでした。何時間経っても病院に現れない私を心配した病院のスタッフや友人からの連絡を受けて、しぶしぶ病院へ向かいました。

医師に事情を説明すると、「今日はやめておこう。気持ちが整ってから始めればいいよ」と仰ってくださいました。1日病室でめそめそしていると、もうすぐ抗がん剤治療が終わるという同室の女性が話しかけてくれました。

年齢の近い彼女が、これまでの治療の様子を聞かせてくださったことや実際に髪の抜けた頭を見せてくださったことで治療の経過がイメージでき、抗がん剤の副作用に対する不安も薄れました。

翌日には「一度決めたことだ!運が良いと信じてとりあえずやってみよう!」と決断し、抗がん剤治療を始めました。

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「明るい未来の話をしよう」~たくさんのギフトとありがとうのリレー

乳がんの抗がん剤治療は通院で行われることも多いのですが、私の場合は2週間前後の入院を4回繰り返し、約3か月間続きました。「せっかくだから入院生活を楽しもう!」と、入院中に仲良くなった“がん友”とおしゃべりをしたり、毎日多くの友人にお見舞いに来てもらったりして過ごしました。

しかし、しばらくして、1時間に1回の下痢や腹痛に加え、吐き気や自律神経の失調も続き、歩けなくなってしまいました。

ベッドの上で一人、じっと天井を見つめていると、もどかしさから焦りが募っていきました。「このまま誰かの介助がなければ歩けないような体では仕事に復帰できない。仕事中心だった私が働けなくなったら、社会の何の役に立つんだろう。生きている価値はあるのだろうか……」と悶々とする日々。

そんなある時、尊敬する人からこんな言葉をかけられました。

「できないことに目を向けず、できることに目を向け続けて、明るい未来の話をしよう」

今の私にできることってなんだろう。そうだ、この闘病経験を活かして、患者さんのためにこんなサービスを提供したらどうだろう、こういうビジネスもできるんじゃないか。

頂いた言葉をヒントに頭を切り替えてみたら、そんな発想が次々生まれて、気持ちが明るくなりました。こうして多くの方々に支えられ、なんとか抗がん剤治療を終えることができました。

現在は、ホルモン療法での治療をはじめています。病院やその後の患者会などで知り合った”がん友”たちと支え合いながら、自分のペースで無理せず、なんとか前向きに治療に向き合っています。

「頼れるのは自分だけ」と思って始めた治療生活ですが、振り返れば周りの人なくしては乗り越えられなかったと思います。治療の見通しを教えてくれたり勇気をくれた”がんの先輩”や”がん友”たち、決断の仕方を教えてくれた先輩方や楽しませてくれた友人たち。支えてくれた家族や親戚。そして、何より献身的にサポートをしてくださった医師をはじめ専門家のみなさん。すべてが私の財産で、キャンサー”ギフト”だと思います。

そして、自分の受けた「ありがとう」を次の人にリレーしていくために、まずは治療を乗り越え、前に向かって生きる自分が後輩たちのギフトになるといいなと思って生きています。

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女性のみなさんへ

乳がんは早期発見が重要だと言われています。私は日ごろからボディケアをしていたことで、いつもとの違いに気付くことができました。みなさんも月に1回でも胸に触れる(触診する)ことを心がけるようにすると、よいのではないかと思います。

また、もし、みなさんが乳がんと診断されることがあっても、あわてず、正しい情報を得て、後悔しないようにひとつずつ、自分で決めてほしいと思います。今は、がん患者を支えるソーシャルリソースも多く、求めれば多くの情報が見つかります。

氾濫した情報の中で迷ったら医師や専門家に相談して、正しい情報を得るようにしてください。そして、困ったら一人で抱え込まず、助けてくれる”がんの先輩”や”がん友”をつくることをおすすめします。

私は今回”がんの先輩”や”がん友”をはじめ、友人や病院のスタッフ、医療の専門家など、多くの「人のつながり」に助けられました。生活習慣の改善以上に「人のつながり」を持つことが、寿命を延ばし健康に大きく寄与するという研究結果もあるそうです。

病気になることを予測するのは難しいですが、普段から「人のつながり」をつくることはできます。それは、困った時に助けてもらえる基盤となるだけではなく、自分が病気でも病気ではなくても「元気」でいられる重要な要素になると、私は思っています。

プロフィール:
田中愛子さん。経営コンサルティング会社にて、複数の新規事業の立ち上げや経営支援業務、営業職に従事した後、現在は、大手人材紹介会社にてコンサルタントとして就業中。
2013年9月に乳がんと診断され、手術、抗がん剤治療を経てホルモン療法での治療を継続しています。

取材協力:
NPO法人 女性医療ネットワーク マンマチアー委員会
私たちは女性の乳房と健康を守る応援団。乳がんに興味がある。自分や家族、友人が乳がんで悩んでいる…そんな方々へ向け無料セミナーを通して正しい情報を発信、提供しています。

 

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この記事のキュレーター

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